公正社会研究会

千葉大学リーディング研究育成プログラム 未来型公正社会研究

第一回 歴史動態班研究会について

第一回歴史動態班研究会が開催されました。

 

日時 2016年9月16日(金)

   16時~18時

場所 人社研棟4階 共同研究室1

報告者 法政経学部 准教授 佐藤健太郎

報告テーマ 「公正と平等を歴史的立場から論ずるために-今後の展望と課題-」

 

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 2016年9月16日に未来型公正社会研究会歴史動態班の第一回研究会を開催いたしました。今回は「公正と平等を歴史的立場から論ずるために-今後の展望と課題-」というテーマで、法政経学部准教授である佐藤健太郎氏が報告を行いました。報告は二部構成からなり、第一部は未来型公正社会研究プロジェクト全体における歴史動態班の位置づけの確認、第二部は「明治期における『平等』理念の受容と政治」というタイトルでの研究報告となりました。

 第一部では本プロジェクトが考える「公正」とは配分の平等にとどまらず、異質性や多様性を重視した概念であること、20世紀の福祉国家体制の下で実現してきた平等と社会的安定が再編を迫られている現状を確認しました。特に日本の文脈では木部尚志『平等の政治理論-“品位ある平等”にむけて』が論じたように、「自由なき平等」、「画一的な平等主義」という批判がなされ、近年は深い考察もないまま「結果の平等」から「機会の平等」へと議論が進んでいることが指摘されました。ここで浮かぶ疑問として、個人間の平等なのか、集団間の平等なのか、日本社会はそもそも平等なのかが挙げられました。こうした疑問を解くためにはマクロな構造と合理的な個人の行為を多元的な社会関係が織りなす関係に着目し、経験に基づいた理論を目指しながら平等を多面性や複雑性を捉えなおす作業が必要でないかという木部説が紹介されました。歴史動態班としては、歴史という共通性を用い個人および集団に着目し、各々の問題関心に基づいた歴史的な研究を行えば、おのずと平等の複雑性が浮かび上がるはずであり、平等と公正の関係がもつ問題性やあるべく両者の関係に向けた示唆が得られるのではと考えていることが述べられました。

 次いで参加メンバーの論考を検討し、メンバー同士の問題関心がどのように関連し、そこから平等と公正をめぐる問題の所在を多面的に明らかにしていく作業を行いました。まず冨江直子『救貧のなかの日本近代-生存の義務』では救貧事業を通じて、皆を等しく生きさせるのは公正なのか、生きることは権利なのか義務なのかという問題提起がなされました。理想の生の実現と経済的貧しさの関係への着目は、藤野裕子『都市と平等の民衆史 東京-1905年-1923年』も共有する視点であります。反政府的な市民活動の側面を有する1900年代の都市暴動は、まっとうな道徳と男らしさという対立構造を内包し、政治運動の洗練化により壮士的振る舞いが不可能となった者たちの鬱屈した感情が朝鮮人虐殺の要因となったことが指摘されました。平等や公正は民衆の専売特許ではなく、官僚人事をめぐる官僚集団間の争いを取り上げた論考として若月剛史『戦前日本の政党内閣と官僚制』があり、さまざまな集団内部あるいは集団間における平等理念の争いを扱ったものとしては佐藤健太郎『「平等」理念の政治-大正・昭和戦前期の税制改正と地域主義』が紹介されました。戦前における義務は納税と兵役であるが、明治期の元老院議官の徴兵制をめぐる論理を分析した尾原宏之『軍事と公論-明治元老院の政治思想』が取り上げられました。関係論的な平等観をめぐっては地域に目を向けることも重要であり、中西啓太「所得調査委員と日露戦後の地域社会-埼玉県の事例から」(『史学雑誌』)と池田真歩「明治中期東京市政の重層性:星亨と区議-有力公民層の対抗関係を通じて」(『史学雑誌』)では、地域の実態を明らかにする作業を通じて望ましい平等と公正を考え方への一考察が提案されました。

 第二部では政治的理念としての平等がどのようにイメージされてきたのかを明治期に焦点を当てた整理がなされました。特に「平等」という概念に込められた固有の価値と意味があるとするならば、それは一体何なのかを明らかにすることが試みられました。幕末から明治にかけて西洋思想の中核的理念として日本で一番重要だったのは自由であり、平等は自由とのセットで位置づけられる概念でした。次いで公正と平等について考察すると、両者はいずれも国内政治を論じる際には用いられないが、外交において理念的な言葉として明治政府が用いている様子が明らかとなりました。

 具体的な事例として中江兆民主筆を務めた『自由平等経論』を分析すると、一般的な代議士レベルでは自由は論争の余地がない良い価値として確立されているが、平等については個人により理解度に差があり違和感が提示されているのが特徴だという点が指摘されました。フランス革命における自由・平等・博愛を出発点とした平等を考察した議論においても、平等とは貧富貴賤をなくすことを意味するのではなく、人をあまねく自由にすることとして捉えられている様子が明らかになりました。経済的平等に言及した論考もあるものの立法的手段による貧富の解消には消極的な議論に終始していました。

 佐藤氏によれば、中江兆民が自由とセットとしての平等論に終始し、平等を単独で強調しなかった理由としてフランス革命を礼賛する立場、負の側面に着目する立場のいずれも自由の原理を踏まえた平等という路線を踏襲していたことが挙げられました。これに加えて急進的な平等は流血事態を伴いかねないこと、民党大合同路線の展開を受け、明治期の日本では平等を抑制し自由を強調し、あくまでも自由とセットとしての平等に関する議論が展開したことが論じられました。

 佐藤氏の報告終了後、平等を考える上での共同体とのあり方や人格に対する視点、民族やジェンダー差別が根強く残るグローバル社会における「公正」を考えながら歴史研究をおこなうのであれば植民地主義帝国主義は避けられないのではないか、被支配者・地域が支配者を覆すには必然的に近代化・西洋化を伴わざるを得ないという意識が必要ではないかという問題提起がなされました。また議論場や理念・言説としての平等と実態としての平等の間には乖離があるのではないか、因果関係を問う手法の研究だと運動や政策形成に関われない人々には焦点があたらないまま終わってしまうことを懸念するといった方法論に関する点も指摘されました。

 20世紀の福祉国家が想定してきた均質な社会で一律な個人の平等と社会的安定を追及する動きから、流動化した社会における多様な個人が存在する多様性や異質性を前提とした中での「公正」は何を意味するのか、歴史叙述を通じてどういた貢献ができるのかに関し活発な質疑応答がなされました。